前回第2章
https://ameblo.jp/yokkaichishoukaki/entry-12685982851.html
からの続きです。
予備校時代から大学時代の息抜きも
名古屋空港で飛行機を眺めてました
名古屋空港は簡単に
滑走路南端🛬に行くことができました。
大迫力で着陸する飛行機のお腹を
眺めるのがとても好きでした
約20年前の名古屋空港です
沖縄ローカルだった南西航空(SWAL)ですが
本土路線を担うようになり
ボーイング767の中型機で
名古屋沖縄を往復してました。
このころちょっと寂しかったのが
JALグループの色がでて
個性が少ないハイブリッド塗装になりました
現在の日本トランスオーシャン航空(JTA)ですね
タイ国際航空です
国際線も飛んでましたね
中日本エアライン(NAL)です
名古屋と富山、米子などを結んでいました
いや〜国内線だけでも
こんなにカオス
さすがANAさん4機最多、JALさん1機、SWALさん1機、
いまはないけどJAS(日本エアシステム)さん2機
NAL2機、不明1機
狭い駐機場に11機も集合で
ごちゃごちゃしてました
まあ、当時でも中部国際空港への移転は
必要に思いましたね。
さて、予備校時代には医学進学クラスにいたのですが、
飛行機への憧れもありました。
なぜかパイロットになりたいとは思わなくて
旅客機✈️を設計したい✍️という思いはずっとありました
社会的事情が許せば
医者👨⚕️ではなく
飛行機を作る仕事に
ついていたかもしれませんね
おまけ
大学時代の私
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2021年07月17日更新